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今戸焼・今戸人形について

今戸焼について③

一昔前までは、「今戸焼」といえば、落語好きや江戸趣味の方でなくても、関東地方一円で通用した言葉でした今戸焼」は浅草今戸町を中心に隅田川沿岸に栄えた江戸東京の焼き物のブランド名で、硬焼の食器類を「瀬戸物」と呼ぶのに対して、素焼きや楽焼きの雑器類を「今戸焼」と呼んでいたようです。また「今戸焼」からは「今戸焼の土人形」も生まれ、身近に愛されていました。現在では東京の人でも「今川焼き」のことですか?という人にも随分出会います。ここでは、そうした「今戸焼」についてお話したいと思います。                庵主 吉田義和
 「江戸名所図会」を見ますと、今戸以外にも隅田川対岸の中之郷瓦町をはじめ、関屋の里あたりにも窯が描かれています。今戸、橋場辺りでははじめ、地元から採れた土を使っていたのが、土地の摩耗、宅地化などに伴い、向かい地(隅田川対岸)の土を取り寄せたり、更には葛飾辺りの土を使うことを迫られます。同時に、土を求めて今戸を転出し、墨田、葛飾へ移る工作者も現れたのではないでしょうか?現在今戸でただ一軒の窯元である白井幸一氏の話では、瓦を焼く家は少なくとも明治終わりには、今戸や橋場にはいなかったということです。

 今戸での窯業は明治維新後も続きますが、関東大震災による町の壊滅と、その後の区画整備の際、また東京大空襲による戦災とによって墨田、葛飾、さらには埼玉県南部へと転出する業者が出ました。今戸の白井家は、地元窯業の元締め的存在で、3軒あり、製品の注文を受けると、品物によって、得意とする「シタジョク」(下請け職人)に仕事を任せていたといいます。白井家は3軒あって、その本家は白井善次郎家で、白井半七家と白井幸太郎家(白井孝一家)はその分家なのだそうですが、関東大震災のあと7代目白井半七家は関西へ移住し9代目まで活動しました。東京大空襲のあと戦後すぐ、本家の白井善次郎家は葛飾区内へと移住し、戦後も植木鉢や焙烙を中心に近年まで製造を営んでいられました。

 戦後も今戸に留まり伝統の灯を守っていらっしゃるのが、白井孝一家で、現在に至っています。

 葛飾区青砥で今も植木鉢を中心に製造をされている内山英良氏の手元に昭和3年に発行された「東京今戸焼同業組合」による「仲買渡シ相場表」という印刷物が保存されていて、その中には組合員34名の氏名と屋号が記され、製品の種類と価格がわかります。製品は植木鉢各種の他に納器(えな壺)、五斗(五徳?)、花立、油壺、保六(焙烙)、夏目(?)、8合~1升の輪(?)が見られます。組合員の名前には、今戸の人もあれば、江東区、墨田区、葛飾区あたりの人と思われる名前も見られます。この中には白井家の名は見られません。

 同じく内山氏の保存されている資料で、用紙に手書きで書かれた昭和24年の「東京土器工業有限会社」の「成立前社員総会議事録」なる書類があり、社員総数14名の名前(全て葛飾区、江戸川区の住所)で、白井和夫氏(本家の善次郎家当代)の名前も含まれています。この中に今戸在住の会員名がない
ということは、戦後今戸には白井孝一氏のみで、今戸焼の実質的な生産は、葛飾区内へ移っていたことを物語っています。

 入谷の朝顔市や浅草のほおずき市の鉢を見ても、昭和40年代までは、今戸焼の植木鉢だったのが、その後プラスチックの鉢に変わったことが象徴するように、今戸焼の土器製品の需要は減り、また他の地方からの製品の流入も併せて、今戸焼は往時の勢いはなくなったというのが事実のようです。

 樋口一葉の「おおつごもり」のはじめに出てくる「今戸焼」の火鉢や、夏目漱石の「吾輩は猫である」の「今戸焼」の狸、落語に出てくる「今戸焼」「今戸の狐」など、往時の一般庶民の認識からは、「今戸焼」は安価な素焼き日常雑器の類であって、ごくありふれたものであったのでしょう。
 ただ、そうした製品であるからこそ、銘の入ったものは少なく、茶陶などに工人の陶印が見られるくらいでしょうか。

 行火や消し壺、灯火器の類など、「これは今戸焼だろうな、、、。」と思われるものはありますし、一般的な会話での「今戸焼のような」という形容には、銘がなくても済むことなのですが、学者の方たちの定義ではこの辺りが非常に厳しいものがあるようです。

今戸焼の過去の製品についてはブログの今戸焼のカテゴリーでも採りあげていますので、ご覧ください。ご教示いただけると幸いです。 →
 「東京真画名所図解               小梅」
井上安治 画
(明治17年~22年
(中之郷瓦町と北十間川)
 
 都鳥向付
蓋裏にへら彫り
  右 「品川 するがや」
  左 「今戸 濱金」
  幕末~明治はじめ?
 
 馬上盃   
?代 白井善次郎作
      明治~大正?
 
えな器?
         年代不詳
                   
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今戸人形について①


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